弓道とは














 

 

前顧問 丹治 昭義(関西大学名誉教授)

弓道の魅力

一 弓道とは――武術にもあらずスポーツにもあらず―

弓道が剣道や柔道と並んで、わが国古来の武術の流れを汲む技術であることは、改めて言うまでもないであろう。弓道が戦場で敵を倒す血なまぐさい武術としては意味がなくなってから久しいが、弓道は柔道などに比べると、特に伝統を忠実に継承し続けてきた道であるということができる。例えば、柔道は重量制を敷くなど、次第にスポーツに近づいているように見える。それに反して弓道は頑ななまでの古来の作法、用具を守って変えようとしない。 尤も弓道が照準器などを使用して的に矢を中(あ)てようとしたら、もう弓道ではなくなり西洋風のスポーツであるアーチェリーと同じものになってしまう。

 現代のスポーツは、科学的な合理主義を拠り所にしている。最近でも記録が次々に塗り変えられるが、それは一つにはスポーツが用具の改良といって科学の成果や身体の合理的で効果的な動き、つまり走り方や泳ぎ方にスポーツ生理学などの知見を積極的に採り入れているからだということである。弓道はそういう流れに逆らっているように見える。 しかし決して科学的合理主義を拒んでいるのではないであろう。 ずぶの素人である私などにも、熟達した部員の"射"は不合理だとは映らない。 "射" ―矢を射る行為のプロセス全体―は始めから終わりまで無駄がなく自然である。それは科学的に合理的ではないかも知れないが、或るもっとも大きな理に適っているように見える。おそらく長い歴史をかけて多くの先人たちが淘汰し、洗練し、完成した体技だからであろう。心身の科学的研究がさらに進んだとき、或いは弓道の生命である"射"が最も合理的であることが実証される日が来るかも知れない。本学弓道部の部員たちは自分のことを"弓引き"と呼んでいる。 この弓引きとは、伝統が磨き上げた"射"の体技を追体験し、自らに体現しようとする者の謂いであろう。そしてその呼び名の背後には、弓道が単なるスポーツでないという認識がある。 


二 弓道の心―引かずして引く―

"弓道の心"などというと、あヽ、また日本の精神主義かと、拒絶反応を示す人も多いであろう。特に弓の技術の背後には禅があるなどといえば、弓道者の中にも顔をしかめる人がいる。 しかし、身体のない心は生きた心でないように、心のない身体は生きた身体ではない。弓道の体技は、"弓引き"の心を離れては存在しない。よくスポーツはメンタルなものだということを聞く。心の昂揚や不安・動揺によって体技が左右され易いということのようである。昂揚によって時には超人的な美技を演ずかと思えば、動顛、畏縮して目を覆いたくなるような失策をくり返す。 私は寡聞にして、現在のスポーツ界にこのメンタルな動揺を克服する有効な方法があるということを聞かない。弓道が強調する心・精神、それに基づく礼法はまさに己れのメンタルな心の動揺を克服する心である。

 "弓道の心"に真正面から取り組み、最も印象的に語っているのは、ドイツの哲学者オイゲン・へリーゲルの著書『弓と禅』であろう。この哲学者や書物については、既に御存じの方も多くおられると思うが、ここで彼が実体験した弓道の心を、再確認する意味で要約しておく。 弓道部の紹介に充てられたこの欄で、ヘリーゲルの"弓道の心"を殊更に採り上げるのは、一つには、現在の弓道部部員の大多数の弓道観も言語表現は異なるが、結局はヘリーゲルと同じ弓道の心に帰着するし、二つには、スポーツというと、ラグビーや格闘技のように肉体が激しくぶつかり合い、闘志をむきだしにし、全力をあげて闘うというイメージが強いが、弓道は寧ろ全く逆で、力を抜き、闘志を鎮めるそういう意味では弓を引かないで弓を引く心の修練だからである。


三 『弓と禅』 ―苦闘と魅力の記録―

ハイデルベルグ大学でカントなどの哲学を講じていたヘリーゲルは、神秘主義に共感をいだき、日本人留学生などを通して知った「生きている神秘主義」である日本の禅仏教に強い関心をいだいていたという。 彼が東北帝国大学の招聘に応じて、大正末期から昭和四年まで六年間同大学で哲学史と古典語を教授したのも、実際に禅を修行したからであったと聞く。しかし友人の「異文化の中で育った者には禅の修業は至難のわざである。禅を拠り所とした禅の予備門となる技術の修業から入るがよい」という忠告を受け入れた。こうしてヘリーゲルの苦闘が始まる。

 ヘリーゲルの幸運は、阿波研造範士という希にみる秀れた指導者に出会えたことである。それは同時に弓道の幸運でもあった。世界に認められることの余りにも少ない日本文化の技術のなかにあって、弓道は、ベストセラーになった『弓と禅』を通して欧米の人々にも深い感銘を与えることになったからである。

 『弓と禅』はヘリーゲルの弓道の修業の苦闘の実録である。修行者の前に横たわる難関や障害は異邦人のヘリーゲルの場合には一層顕在的であった。弓道は或る意味では実に簡単で、三種の"わざ"(一)弓を引き、(二)矢を放ち、(三)的に中てる、という"礼法を舞う"だけである。しかし、これらが行手をさえぎる難関である。ヘリーゲルも阿波範士も禅の知識があったから、これら三種の"わざ"の真実のあり方を禅の逆説で表現している。

 (一)、正しい"引き"は、引かないで引くのでなければならない。腕や全身の力で引くのではなく、身体の力を抜いて引くことである。 ヘリーゲルは失敗を重ねた末、正しい呼吸法の指導を受けてこの難関を突破した。
 (二)、普通は矢を放つとき衝撃によって身が動揺する。正しく放つには、その衝動を吸収して身を不動に保たなければならないが、 矢を放つことにとらわれ、意識している限り正しい"放ち"とはならない、放つことを忘れ、無心になる つまり"心の力を抜く"とき、矢は正しく放たれる。
 (三)、最後の難関は、"中てる"ことである。これの逆説は"見ないかのように見る"である。 ヘリーゲルは阿波範士が模範として射たとき目を閉じているように見えたという。

 『弓と禅』の圧巻は、ヘリーゲルが「夢遊病者が無意識に正しい道を歩くように」、「目隠しをしても中てられる」と語ったときに阿波範士が射は無意識な行為でなく、最も"精神的に覚醒した状態"であることを示した"射"である。夜、あづち(的をすえる砂の壁)の電燈を消し、的の前に点火した針程の線香を立てて範士が二度"礼法を舞う"。 点燈してみると、第一の矢(甲矢)は的の黒点の中央に中たり、第二の矢(乙矢)は甲矢の筈を砕き軸を少し裂いて甲矢と並んでいたという。この離れ業は伝聞でも伝説でもない。ヘリーゲルが昭和の始めに日本の仙台で現実に実見した事実である。彼は「矢を別々に引き抜くに忍びず、的と一緒に持ち帰った。」"見ないで見る"の実現である。ここを読む度に、インドで二千年前に書かれた『首楞厳三味経(しゅりょうごんざんまいきょう)』を思い出す。 そのお経でも仏教修行の最後の境地のたとえとして、弓の名人の術について「弓の名人は欲するならば真夜中暗闇の中ででも何者かの声がしたとき、努めず、作為せずに、(射ると)、矢が中たる」といっているからである。弓道の極致は日本弓道だけのものではないのである。弓道の最高の魅力、醍醐味はこの境地を楽しむことではなかろうか。